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『湖の伝説』 梅原猛
JUGEMテーマ:読書

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  梅原猛著作集16 『湖の伝説』 

                梅原猛 
                
                (集英社)

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日本画家・三橋節子について綴った文章である。
三橋節子は新進作家としてその将来を期待されながら、35歳という若さでこの世を去った女流画家である。

私が三橋節子のことを知ったのは、ある化粧品の情報誌の紙面であった。三橋節子のことを紹介した文章のページのすみに、『三井の晩鐘』と題する彼女の作品が載せられていた。画面の右下に何かに無心にしゃぶりついている幼子、その背後に朱色の着物を着た髪の長い女性が、龍にまとわりつかれながら立っている。背景の暗い青に、女性の朱色の着物が妙に際立っている。尋常ではない構成の絵。だが、その奇異とも言える絵は、どこか悲しげで、それでいて温かく、ひどくひきつけられるものがあった。
文章を読んで、その絵が近江の昔話を題材にしたものであることを知った。
そして、その絵は節子の利腕の右手ではなく、左手で仕上げたものだということも。

節子は右肩鎖骨腫瘍で右腕を失う。その手術の約半年後、公募展に出品した作品の一つが先の『三井の晩鐘』であった。

梅原氏は、生前の節子に会ったことはない。彼女の死後、たまたまその絵に触れる機会があって、その絵に感動し、そしてこの文章を綴った。
右肩を失った節子が再び画家として再起を遂げたのはある意味奇跡である。その奇跡を奇跡たらしめたものはなんだったのか、梅原氏は哲学者らしい論調で(というか、いつもの梅原調で)、その答えに迫ってゆく。

「諦観」と「慈悲」・・・
右腕を失った節子について語るとき、氏はしばしばこの言葉をもちいる。
自らの死を受け入れるとは、言葉ではあまりにあっけなくいえることであるが、実際のところ如何なる苦痛を伴うものであるのか、想像できない。

「死んだ方がまし」
右腕を失った直後、節子は実の母にそう漏らした。
だが、その節子を再起に向かわせたのは、彼女自身の意志の力ももちろんであるが、廻りの人の支え、特に夫で同じ画家の鈴木靖将氏の支えであった。惜しみない愛の力であった。

節子も周囲の愛にこたえるべく生きた。彼女の生きた証はすべて彼女の作品の中にある。



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