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『中世越後の旅―永禄六年北国下リノ遣足』

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『中世越後の旅―永禄六年北国下リノ遣足』

         大家 健  (野島出版)

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「永禄六年北国下リノ遣足」(国立歴史民俗博物館所蔵「田中穣氏旧蔵典籍古文書」の中の一つ)は、京都醍醐寺の僧の一行が、永禄六年九月、京都を発ち、北陸道を通って越後に入り、越後国頚城郡・魚沼郡を経て三国峠を越え、上野国を経て下野国鶏足寺に至る旅の記録である。

この史料をもとに、僧一行の足跡を辿りながら当時の越後の様子を描いたのが本書である。
当時の越後の地図も掲載され、図と文章で、とてもわかりやすく当時の越後の様子が綴られている。

たまたま図書館で見つけた本であるが、永禄六年(1563)ころの越後といえば、謙信が治めていた時代であり、もうそれだけで、書棚に手を伸ばしてしまったのは、言うまでもない。(もう少し、時代が下っていてもよかったのだが・・・)

当時は温暖化が進んでいて、気候は現在とほぼ同じようであったという。
したがって冬の降雪も比較的少ない時期であったという。

ことにドキドキしながら読んだのは(もとより「ドキドキ」しながら読むような類の本ではないのだが)、一行が直峰(本書では「ノウ峯」と表記)から三国峠越えをする場面。
直峰といえば、後に景勝の代になって樋口兼豊が城主になったところである。
その「ノウ峯」に一行がさしかかったとき、一行が目にしたものは上杉軍の大移動であった、という。
当時謙信は関東に赴くため、10月下旬に春日山を発ち、閏12月19日に厩橋(現前橋)に到着している。このときの上杉軍に、はからずも遭遇してしまったのだという。
彼らは地元の僧侶に相談し、二日間待ったが通行できず、さらに北方へ迂回して旅を続けたという。僧の一行が、都合「ノウ峯」に3泊し、さらに途中1泊して迂回して行ったのは、軍勢の移動のためばかりではなく、軍道の秘密保持のためでもあったと筆者は述べている。

なかなかスリリングな場面でもある。

巻末には翻刻資料が載せられている。旅の記録とは言うものの、○月○日に何処そこについて、宿代にいくら使って・・・というようなメモ書き程度のことしか記されていないのだが、そこから様々なことが見えてくる。

ちなみに筆者は『図説中世の越後』の筆者でもある。

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村上義清と信濃村上氏
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『村上義清と信濃村上氏』

  笹本正治監修 (信毎書籍出版センター)


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平成17年11月に、長野県坂城町で行なわれた「信濃村上氏フォーラム」の記録を書籍化したもの。このフォーラムは、同町の合併50周年を記念しての事業の一環で行なわれた。

村上義清は戦国時代の武将で信州・葛尾城の城主。2度に渡って武田信玄を破ったが、その後、本城である葛尾城が落城。越後の上杉謙信のもとに走り、これがきっかけで全五回に及ぶ川中島合戦が行なわれたことは、周知のことであろう。

コーディネーターは信州大学人文学部副学部長の笹本正治氏。

町内の小中学生の発表に始まり、村上氏の菩提寺である満泉寺の住職齋藤真光氏、福島県葛尾村の教育長さん、新潟県上越市の公文書館の学芸員の方(『上越市史』「上杉文書集」編纂に携わった方である。)、村上水軍に関連して愛媛県今治市、広島県尾道市から、また奈良県の吉野町からなど、村上氏ゆかりの地の人々がいろいろな方面からお話された。

フォーラムの記録という関係上、堅苦しい表現などはなく。非常にわかりやすい内容になっている。
もともと史料も少なく、研究対象としては難しいと思われる村上氏であるが、これを機会に研究が進むことを期待したい。


※二年ほど前に下書き保存してあったものを、今頃になってアップしました^^;
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真龍夫人 歌と生涯
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『真龍夫人 歌と生涯』
       皆森禮子著 桂書房


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真龍院、といっても、信玄の娘ではない。こちらは、名を夙姫といい、加賀前田家12代藩主前田斉広の夫人。五摂家の一つ鷹司家から嫁いでこられた方である(鷹司政熙の女)。

真龍院は一生のうちで作った歌を「遺詠集」として残しており、本書はそれを軸にして真龍院の生涯を追った伝記である。
「遺詠集」は年代順に歌が記されていて、年号もきちんと入っているので、いつ作った歌なのかがわかり、当時のできごとなどと照合してその時々における夫人の思いが手に取るように伝わってくる。

真龍院が斉広に嫁いだのは文化4年(1807)。21歳の時のことであった。明治3年、彼女は金沢で生涯を閉じるが、まさに幕末の激動期を前田家の命運とともに生きた女性である。
彼女には実子はなかったが、斉広の側室の生んだ子どもたちをいつくしんだという。姫たちの嫁ぎ先などにも心を砕き、もちろんそこには政治的な思惑も働いたであろうが、公家の出身という縁を生かして、前田家のために尽くした。

真龍院は「遺詠集」の最後に、次のような歌を残している。

     荒和秡
   麻の葉に身のうき事を書きつけて けふや川瀬に御秡しつらむ

「身のうき事」を書き付けた麻の葉を川に流してしまおう、というわけだが、彼女が流してしまいたかったものとはいったいなんだったのであろうか・・・。もちろん一口では言えないことではあろうが。
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よみがえる金沢城
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『よみがえる金沢城 1 ―450年の歴史をあゆむ―』 
       金沢城研究調査室編 北國新聞社


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最近城郭関係のビジュアル本をよく見かけますが、本書は金沢城調査研究室がまとめた本格的な金沢城研究の本。というと堅苦しく聞こえますが、イラストや古絵図、写真などをふんだんに取り入れて、一般にもわかりやすくまとめられたものです。
全部で5巻発刊予定だそうですが、第1巻は金沢御堂の時代に始まり現代に至るまでの金沢城の変遷と、城を舞台に起こったできごとが紹介されています。
巻頭には創成期から江戸期におけるお城の変遷の様子がパノラマ図解されていて、各時代のお城の様子が一目でわかります。
眺めているだけでも楽しい。
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